理学療法士の友人がある大学教授の研究の手伝いをしていると話していた。その表情は全くもって浮かない顔だったし話の内容もツマラナイものだった。研究自体は意義があるものだが話している友人が楽しくなさそうだった。
少し悪戯な気持ちで聞いてみた。
「それ、楽しいの?」
友人はそれ程楽しそうではなかった。当然といえば当然のことである。
若い頃は何でも経験した方がいいっと多くの人たちは言う。私も大方その意見には同意できるが1つだけ同意できないものがある。
それは、他人の人生を生きている時だ。先ほどの友人は正にこれだった。友人のこの先の人生は研究を手伝ったことで出世のレールが用意されることになるかもしれないが、それがいつなのかは判らない。
楽しくもないことに自分の人生を消費しているほど無駄なことはないのでは無いかと思う。
理学療法士のキャリアはこれからも変わり続けていくことになるが、それはポジティブなものでは無い。政界への影響力もなく、公的保険内での立場いつも良く無い。社会の必要性と立場の弱さにいつまでも歯がゆい思いをしている。
ルールを変える側にいないということは先ほどの友人と同じ状況でもある。
先人たちの作ってきた道を大切にしなければならないことも一理あるとして、その道を歩んだ先の保証は何もない。
2040年になると理学療法士の就職は厳しくなり、理学療法士として働けなくなることがわかってきた。社会のニーズに応えるため、知識と技術を磨いてきたにも関わらずその価値は目減りしていくことになる。
需要と供給のバランスが崩れて飽和状態となれば、それらに関わる価格は低下していくことになる。つまり、給与がどんどん安くなっていく。公的保険のビジネスモデルを考えると当然のことだと思う。
そんな未来がこれから待っているのに友人はまだ手伝いをしている。研究が良い悪いというわけではない。この先のキャリアや人生をどのように過ごしていくのだろうかと不安なだけだ。